ドイツ・国家依存症の毒

 今年ワールドカップの開催国となったドイツは、二00五年の国内総生産(GDP)では米国、日本に次ぐ世界第三位の経済パワーである。

ドル建て輸出額では、世界第一位の貿易大国である。料金がただで、時速制限のない区間がある高速道路、緑の多い生活環境など、インフラは極めて充実している。ベンツ、
BMWなどドイツ車のファンは多い。敗戦後の焼け跡から復興し、世界有数の経済大国になったという点では、日本に似ている。

 ところが、ドイツは一九九0年以降、様々な病に苦しんでいる。

二00五年の経済成長率は、わずか0・九%。
EU(欧州連合)加盟国の中で、最下位から数えて三番目という低さである。同年二月には、五百二十八万人という、戦後最悪の失業者数を記録。一九九四年以来、失業率が十%を超える状態が十二年間も続いている。

 公的年金保険、健康保険、失業保険、介護保険は火の車で、社会保障支出の伸び率が経済成長率を上回っている。企業は、高い税金と社会保険料負担にあえぎ、ドイツの労働コストは世界でも最高の水準。

このため、労働コストが安い中東欧に工場を移す企業が、増えている。中間層が急速に減って、社会の富裕層と低所得層の間の格差が、拡大している。社会の少子化と高齢化が進み、人口減少が始まっている。

 その意味で、日本と同じようにドイツでも、構造改革が急務の課題となっている。実際にシュレーダー前首相は、公的年金や失業保険の給付金を、大きく引き下げるなど、十九世紀にビスマルクが社会保障制度を導入して以来、最も大胆な改革を実行し始めた。

だが市民の間では、雇用の見通しや老後の暮らしについて、不安感が強まっている。

 私は今年八月に「ドイツ病に学べ」(新潮選書)という本を上梓したが、きっかけは、成熟した二つの経済大国が、新興国によって追われる立場になり、共通の悩みを持っていると感じたことである。

両国では、グローバル化への対応の遅れによって、経済や社会に様々なきしみが生じ、一種の閉塞感が漂っている。それは、戦後半世紀にわたって、成功した方法、尊重されてきた価値観が、世界の変化によって、通用しなくなったことによる、焦りと苛立ちである。閉塞感の具体的な表われが、ドイツ病と日本病である。

二00六年に入って、日本経済は回復の兆しを見せているが、ドイツ病はいまだに重篤だ。シュレーダー政権とメルケル政権が始めた集中治療は、一年や二年で効果を表わすものではない。低成長、大量失業などの構造的疾患に回復の兆しが出るのは、早くても二0一0年、いやもっと先になるかも知れない。

 その理由は、ドイツ病が「甘美な病」でもあることだ。税金、労働コストの高さと国際競争力の低下は、手厚い社会保障制度、短い労働時間、三十日の有給休暇、労働者の権利保護など、日米の勤労者が見たら羨ましがるような状況と、表裏一体になっている。

政府が市民に求めているのは、高度経済成長期に与えられた既得権を、部分的に放棄することである。グローバル化の荒波にもまれる客船で、船長は「このままでは船が沈むから、荷物を海に捨てろ」と乗客に呼びかけているが、乗客たちは長年持ち慣れて、愛着のある私物をなかなか捨て切れないでいる。

他の乗客が荷物を捨ててくれれば、自分は荷物を捨てずに住むのではないか。まだこう考える乗客が多いようだ。できれば、国家が自分を繭(まゆ)の中にすっぽりとくるんで、寒風から守ってくれるような、ドイツ病の甘美な夢から醒めないでいたい。

ドイツ病の治癒に時間がかかる理由は、国家依存症の甘い毒が、多くのドイツ人の心に深く浸透していることである。

国家に依存する心は、リスクや変化を嫌う態度を生み、ハングリー精神を奪う。従って、シュレーダー氏が首相の座から追われたように、これからも改革断行政権は、国民の批判を浴びて、選挙で負け続けるだろう。

だがどの党が政権についても、改革を続けざるを得ない。ドイツは、経済グローバル化の時代に他の国々と伍すことができるような、ダイナミックな国に生まれ変わることができるだろうか。ドイツが抱えている先進国症候群は、我々日本人にとっても、他人事として片付けられないように思える。

筆者経歴

熊谷 徹(くまがい とおる)

一九五九年東京生まれ。早稲田大学政経学部卒業後、NHKに入局。神戸放送局、報道局国際部、ワシントン特派員を経て、九0年からフリージャーナリストとしてドイツ在住。欧州の安全保障問題、EUの政治・経済統合、対テロ戦争、ドイツ経済などについて、取材、執筆を行っている。著書に「ドイツ病に学べ」、「ドイツの憂鬱」、「新生ドイツの挑戦」、「住まなきゃわからないドイツ」、「びっくり先進国ドイツ」など多数。

ホームページ・http://www.tkumagai.de

北海道新聞 2006年10月